2017/05/13

Mindfulness Practice Lab HP完成

これです↓
https://www.mindfulness-practice-lab.com/

これはまったく英語とは関係ないのですが、私は英語以外にマインドフルネスと呼ばれるものを人に教えることもしています。
実は広い意味での瞑想は20歳からやっていまして、いわゆるマインドフルネスを含めて瞑想の総実践時間は5000時間を超えています。
そこでこの度「マインドフルネス実践ラボ」というサイトを立ち上げ、よりマインドフルネスの普及活動に力をいれることにしました。
もしご興味が有りましたらせひサイトを訪れてみてください。

2017/05/13 Mindfulness Practice Lab HP完成

2016/07/11

分からないことが分からないことが分かる

なんだかややこしい。
「分からないことが(何なのか)分からないことが分かる」

確かソクラテスは「自分が知らないということを知っている」云々ということを言っていたらしい。本当かわからないけど。歴史だものね。僕は基本的に歴史はあまり信じてはいない。一つの仮説みたいな感じで読んでいる。
ものすごく久しぶりにこのプライベートブログを更新してみようという気分になった挙句の果てに浮かんできたフレーズがこの「分からないことが分からないことが分かる」って言葉だ。
きょうは、適当に頭に浮かんでくることをそのまま言葉にしてみようと思う。
このホームページに初めてたどり着いて、最初に読む記事がこれだとしたら、「なんていい加減なやろうだ」って思われるかもしれないけど 笑
まあ、いっか。

言葉っていい加減だとつくづく思う。人それぞれの解釈があるから、口論なんて本当に勘違いベースで成り立っているものがほとんどとしか見えない。あっ、別に誰かと口論があったとかそういうことじゃないけど。

「分からないことが(何なのか)分からないことが分かる」っていうと、これは「分からないことが(何なのか)分からない」よりも一歩先に理解が進んだ状態であると言えると思う。
つまり、何が分からないかは分からないけど、それ自体は分かっている、みたいな感じ。

きょう、ある人に発音を教えていて、その人はある音が「正しく発音できていない」と人に指摘されたらしい。そこで僕に「この音ってあってますか?」と聞いてきた。
「うーん・・・ちょっとズレてますね」
「どんなふうにズレているんですか?」
「えっと・・・あなたが出している音はこれで」ここで私は相手の口から出ている音を私は出した。「これが実際の音です」(実際の音を出した)
「えっ・・・違いが分からないのですが・・・」
「おお、そうなんですね・・・」私は少しだけ困った。まずいな。違いが聞き取れていないっていうことだよな、と。少し考える。そして名案が浮かぶ(自分で言うな、って)。「あっ、そうだ! こうやったら音が違うってわかります?」私は相手が出している音を出してからそのまま流れを止めないで本来出したい音へと変化させていった。
「あああああ!!本当だ!音が違いますね!!」
「おお、わかります?」
「ええ、わかります!」
お互いにとてもうれしかった。これで前に進める。

「分からないことが(何なのか)分かる」のはだいぶすごい。心がけたい。でもそれが難しくてもせめて「分からないことが(何なのか)分からないことが分かる」重要だな、これ。
はい。

2016/07/11 分からないことが分からないことが分かる

2016/01/31

TEDxHimiを手伝って。諦めるのは怠惰。死んでいるのと一緒。

TEDってご存知ですか?
「広める価値のあるアイデア」を世の中に発信することを目的とした講演会のようなものです。ビル・ゲイツやビル・クリントンなどの著名人から一般的には名は知られていないけど、まさに「広める価値のあるアイデア」を有している人々が様々なことについて語っています。
今回、TEDxHimiのチーフ・キュレーターであるエリーさんからTEDxHimiのテーマや英語周りの手伝いとして一緒にやらないか? とのお誘いを勿体なくもいただきました。
エリーさんは相当なことを今まで経験してきた方です。温かみのある、何かこの世知辛い世の中から一歩離れた所から世界を見ているお坊さんのような、何とも深みのあり、親しみのもてる方です。私がどんな生意気なことを言っても包み込んでくれるようなお人柄の持ち主です。
もちろん私は秒速でOKと返事しました。
開催地は私の母の実家がある富山県。
そしてたまたま私は法事で2週間後にTEDx開催地である富山へ行く予定だったので、富山でファウンダーのマサさんと直接お会いしました。
定置網エバンジェリストであるマサさんもまたまた相当なことを今までやってきた方です。TEDxHimiのテーマはPassively Active。一見受身のようでいて、積極的に活動的である状態。氷見の定置網がベースになっています。そしてこの考えはMindfulnessにも通じます。
私はマサさんのお話を伺いながら、これはすごいことをやりそうな人だ、との印象を受けました。この人は本気で氷見から世界を変えようと思っている、と。
即座に私は出来ることをやる、と伝えました。

それからしばらくは大きな動きは無かったのですが、そうこうしているうちに、動く時期がやってきました。
動き出したら一気でした。
私は現在7、8足のわらじを履いている生活です。そこにたくさんの翻訳が舞い込んできました。ただ、やりたいからやっているので、全く苦ではありませんでした。
気付けば本番当日まで昨年の11月あたりから、年末年始含めてフルで休める日は一日もありませんでした。
でも楽しいだけでした。

そして本番日。私は都合が悪くてイベントそのものには参加はできないことが決まっていました。その日は仕事の合間を縫って、ライブストリームを見ようと思い、正直どこかで、私の役目は終わった、と思っていた部分もありました。
しかし、そんなことは全然ありませんでした 笑
まず朝一。私が英訳を担当していたスピーカーの方から夜中に連絡が入っていて、ある個所を英訳して欲しいとの依頼が来ていました。実は若干来る可能性も予測はしていたのですが、改めて、おっと、油断はできない、との緊張感が走るとともに、もちろん、私は喜んで速攻でやりました。
そして、その後何気なく、翻訳チームのFBグループを確認したところ、おお、これは当日にして、まだまだ用意しきれていない英訳が沢山あるじゃないか、という事実に気づきました 笑
やってやろうじゃないの、と思い、手伝わせていただきました。

気付いたら、私は別の仕事の合間を縫ってはライブストリームを見つつ、翻訳を手伝いつつのマルチタスク状態になっていました 笑

しかし、楽しいんです。

物凄くいい人たちと出会えました。
エリーさん、マサさん、翻訳チームのチーフであるSさんや、また遠隔からお手伝いいただいていたAさん、スピーカーの方々はじめ、いい出会いが沢山ありました。

そこで今更ながら改めて思いました。

諦めるのは怠惰。死んでいるのと一緒。世界平和を実現できると本気で信じる人たちが増えることが世界平和につながる道。これは他人事じゃない。打てる手はあるじゃないか、と。
世の中は確かに混沌としていて、ありとあらゆる問題が山積みです。
しかし、それらの問題を「もうどうしようもない」「そんなこと気にしてもしょうがない」等、何か他人事かのように言って、まるで悟ったかのような顔をしている人の何と多い事か。もちろん私も偉そうに人のことを言えませんが。
それに比べて、このTEDxHimiを通して出会った人たちの多くはその対極にいました。「誰も世の中を変えようとしないなら私たちが変えようじゃないか」と。

何か忘れかけていたことを思い出させてくれました。
ありがとう。
そしてこのTEDxHimiは始まったばかりであるということを思うと、喜びが止みません。

TEDxHimiのホームページは以下です。興味があったらぜひ。
http://www.tedxhimi.com/

2016/01/31 TEDxHimiを手伝って。諦めるのは怠惰。死んでいるのと一緒。

2015/12/29

2015年も終わる pessimistically optimistic/悲観的な楽観性

戦場から帰ってきた友人はこう言った。God doesn’t give a shit.(神は人間の事なんて何とも思っていない)

2015年も終わろうとしている。そして僕はまた死へ一歩近づいた。

「死」という言葉を口にすると、あまり心地よく思わない人が世の中にはいる。でも僕は「死」というのは生きていれば100%避けられない事なのだから、常にそこを意識して生きることが大事だと思っている。
そもそも、ここの一点を本当に見つめて、理解する努力をしないで、どうやって「生」について理解できるのか? と僕は勝手に思う。
生きていれば絶対に避けられない「死」
どんな凄いことを成し遂げても、歴史教科書に残るようなことをしても、最後は死ぬ。
これは人だけじゃない。いずれ地球も死ぬ。その時には人類の歴史も全てが消える。

人生に意味はあるのか、ないのか? その答えを僕は持っていない。
宗教はその答えを与えてくれる。だから信仰を持つ人はその点に関しては明確な答えを持っている。
しかし、信仰の無い人はどうだろう? 
「いや、人生の意味とは自ら作るものだ」という発想もある。まぁ、落ち着くところは大体そこか、「そもそもそんなこと考えてもいない」という生き方か。

たまに生きているのか死んでいるのか分からない人に会う。
つまり自らの考えを持たずに、大半の時間を無意識に過ごしている人たちだ。
口癖は「相変わらず」や「忙しい」等々。
「勿体ない」と僕は思う。しかし、そう思っても最後は僕も死ぬ。
そしてそう思っている僕も大半の時間を無意識に過ごしている。自爆 笑

pessimistically optimisticという言葉がこの記事を書き始めたあたりで勝手に浮かんできた。
これは今お手伝いさせていただいているTEDxHimiのテーマに影響を受けているようにも思える。
僕は「死」について語っているんだけど、気持ちはものすごく明るい。どうしようもないことなのだから「ほっとけばいい」という感覚と、「どうせ全て無くなるし、失うのだから、そこまで真剣になりすぎる必要もない」と。
心は明るく軽い。
「死」を恐れる気持ちはある。強く。半端じゃなく。しかし真正面から見つめたい。そうすることによって人生とは何なのかの答えが出る気がする。そして人として何が大事なのか、ということも理解できるようになる気がする。

何かを掴みかけている感覚はある。

まだまだ知らないことだらけだと、痛感した一年だった。

peace
Shannon

2015/12/29 2015年も終わる pessimistically optimistic/悲観的な楽観性

2015/11/12

プライベートブログ

ここはプライベートブログです。
記事はこれから追加していきます!

2015/11/12 プライベートブログ